大阪高等裁判所 昭和41年(ネ)542号 判決 1968年5月08日
控訴人
中島毛糸紡績株式会社
右代理人
南利三
同
駒杵素之
右復代理人
上村昇
被控訴人
株式会社マシタ
右代理人
林藤之輔
同
中山晴久
同
石井通洋
同
高野裕士
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実<省略>
理由
本件に対する原判決の理由冒頭から一までの事実認定、特に控訴人が清水太蔵に本件手形を渡した昭和三二年五月二一日ないし二四日頃までの間に被控訴人が従前より清水に与えていた代理権を消滅させたことはないこと、従つて控訴人が清水を被控訴人の代理人として本件手形を手渡したこと等は、当裁判所の事実認定と同一であるから、それらの部分についての原判決六枚目表の理由の初めから八枚目表六行目の終りまで全部を引用し、次の説明を付け加える。
表面の受取人欄及び裏書部分を除きその余の部分の成立には争いがなく、(証拠)を総合すると、清水太蔵が被控訴人の代理人として当初控訴人より手形二通を受取つたときの手形の受取人は、両方とも被控訴人となつていたのであるが、その中の一通である本件手形(甲四号証)について清水が受取人名を抹消して白地にしてくれと要求したので、控訴人は、清水の代理権を信頼し、従前よりそういうこともあつたので求められるままこれを白地にして清水に手渡したこと、清水は、ここに自分の名を書込み、白地式で隠れた取立委任裏書をなした上、取立銀行をして交換の方法で呈示せしめその支払を受け、これを被控訴人に交付せず、自己の預金として銀行に預け入れたことを認めることができる。
右認定の事実及び当裁判所の引用する原判決の認定した事実によると、右金額一一六万円の手形は、被控訴人主張の被控訴人から控訴人に対する脂付羊毛の売買代金の支払のために、控訴人から被控訴人代理人清水太蔵に対し交付されたものであることが明らかであるから、右手形の受取人欄に当初記載された「株式会社マシタ」の字が抹消され、白地となつたとしても、右手形の正当な権利者は被控訴人であるというべきである。約束手形の受取人欄を空白として指図式で振出された白地手形においては、これを適法に取得した手形取得者が任意にこれを補充して権利を行使するか、またはこれを補充せず交付により譲渡することはできるが、正当な手形上の権利者でない者がたまたま手形を占有していたことを奇貨として勝手に自己の氏名を補充しても、その者が手形上の権利を取得することのできないことはいうまでもない。ただ、無権利者の補充であることを知らず、善意で手形を取得した第三者は、善意取得者として保護されるにすぎない。前記認定の事実によると、清水太蔵は、控訴人から被控訴人に対する売買代金の支払のために振出された本件手形を被控訴人の代理人として交付を受けたのであるから、当然これを被訴控人に交付すべきであつたのに、被訴控人に対し手数料債権があるといつて交付せず、被訴控人との間に紛争を生じ、その紛争が解決せず、従つて、被訴控人から右手形を適法に譲渡を受けていないにかかわらず、白地となつていた右手形の受取人欄に自己の氏名を勝手に記載し、隠れた取立委任裏害の上呈示してその支払を受けたのであるから、正当な手形上の権利者でなくしてその支払を受けたものというべきである。この場合においても、右手形は、一応手形所持人の権利者としての形式的資格を有しているとみられるから、振出人である訴控人が悪意又は重大な過失がない限り手形上の義務を免れうるのである(手形法第七七条、第四〇条第三項参照)そこで、訴控人に悪意又は重大な過失があつたかどうかにつき、判断することとする。ここにいう悪意とは、手形の呈示者に弁済受領の権限のないこと、この事実を立証すべき確実な証拠方法を有するにかかわらず支払つた場合をいい、重大な過失とは、支払人(約束手形の振出人)が通常の調査をすれば、手形の呈示者が無権利者であり、かつ、その無権利者であることを立証すべき手段を確実に得たであろうのに、この調査をしないため、無権利者であることを知らずに支払をしたような場合をいうものと解すべきである。既に認定したところにより明らかなように清水太蔵は、本件手形の正当な所持人でないのに、勝手に白地の受取人欄を補充して自己を形式的資格者として呈示したのであるところ、同人が満期に呈示する以前の昭和三二年六月一九日に控訴人に到達した書面(甲三号証の一)で、控訴人は、清水太蔵が本件手形を正当な事由なく被控訴人に交付せぬこと、右手形の受取人欄には被控訴人名義が記載されているから、被控訴人の裏書署名を偽造しない限り、これを処分し又は取立に廻すことはできないのであるから、清水太蔵又はその他の者の取立の場合には、善処してもらいたい旨被控訴人から申入を受けていたのであり、かつ、控訴人は、右手形の受取人欄の「株式会社マシタ」を抹消し、白地として清水太蔵に交付したのであるから、通常の調査をすれば、被控訴人から右申入のあつた後においては、清水太蔵が右白地を同人名義に補充して呈示しても、同人が権利者でないことを容易に知り得べきであり、しかもその無権利者であることを証明すべき証拠方法をも確実に得ることができたものと認めるのを相当とする。そうすると、本件手形の善意の取得者である第三者が呈示した場合なら格別、右事情の下で、控訴人が被控訴人から前記のような申入があつたにかかわらず、何ら調査することなく、漫然と委託銀行をして本件手形金を呈示者の清水太蔵に支払わしめたことについては、少くとも重大な過失があるものというべきである。従つて、本件手形金を清水太蔵に支払つたことにより、被控訴人に対する本件売買代金残金一一六万円の債務を免れることはできないものといわなければならない。
控訴人は被控訴人は、自らの権利を保全するための保全、保護手続をとらず漫然支払期日を徒過しながら、過失のない控訴人にその責任を転化しようとするもので、本訴請求は失当であると主張し、右の保全手続をとらなかつたことは、被控訴人の明らかに争わないところであるが、<証拠>によると、被控訴人は、本件手形が控訴人から清水太蔵に交付された際、受取人欄の被控訴人名義が抹消されて白地となつたことを知らず、受取人欄は被控訴人名義となつているものと信じており、裏書を偽造しない限り他人が他へ処分したり取立をすることは不可能であると信じていたため、権利保全の手続をしなかつたことが窺われる。裏書を偽造して権利者であるとして手形を呈示することは、通常の事態ではないのであるから、被控訴人が右のように信じていたため、保全手続をとらなかつたとしても、被控訴人には控訴人の重大な過失を軽減しなければならぬような過失の責はないといわなければならない。控訴人の右主張は、採用できない。
されば控訴人が清水に支払つた分は、未だ被控訴人に対する支払とはいえないから、被控訴人が本件一一六万円とこれに対する本件訴状送達の日の翌日であること記録によつて明らかな昭和三二年九月八日より完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める被控訴人の請求は認容さるべきであり、これと同旨の原判決は、相当であつて、本件控訴は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条九五条を適用して主文のとおり判決する。(岡野幸之助 宮本勝美 菊地博)